2021年8月13日金曜日

夏帽子

 私は疎開先の青森県で生まれました。 当時12歳だった叔父は難産で座位でへその緒を首に巻いて産み落とされた私を見て猿かと思たそうです。終戦後父は焼け尽くされた東京を離れ母方の身内の多い青森に移住しようと思ったそうですが 母が虐められていたので 身内を頼るより神田を生活拠点に選んだようです。あの時代皆大変だったのでしょう。 生まれて半年の赤子を抱いて母は青森から満員列車に揺られ 父が準備した天沼の借家に帰ってきたようです。「あの時前の男の人が全身で盾になってくれて 貴方は押しつぶされずに済んだんだよ。」母は疎開先の苦労や生活をよく私に話しました。「お前に何度背中を濡らされたか分からない。」きっと叔父は昔の子さながらに いつも私を背負い紐で背中に括りつけられていたのに違いありません。


紫外線アレルギーがありますので 何時も帽子をかぶっています。好きな夏帽子・・・・外出しませんので被ることもありません。

































男は父一人だけで8人の女子供を住まわせるために 家を建てるにも当時新築は許可されず静岡の家を買って移築したようです。戦時中から先のことを考えて 「戦争は終わったが 今後は食料争奪戦になると思うから 山に行って薪を拾って 食べられる木の実を集めておくように」と母にあてて書いた手紙を読んだことがあります。そんな苦労の中私は育ったようです。 鼻水を垂らしてお芋を持って首をかしげている写真があります。可愛いです。

















2 件のコメント:

  1. こんばんは
    ガンレフ写真掲示板から流れてきました。
    こちらでは初めまして
    私の親父は新婚半年近くで出征し、戦後奇跡的に生還しました。
    そして私が生まれました。
    横浜は東京と同じ焼け野原で、母方の実家に世話になったそうです。
    親戚からは敗残兵と陰口を言われたそうですが、母は五体満足の夫を見て、泣いて喜んだそうです。
    戦後は物の無い時代で皆さん苦労したんですよね。
    そのように父母(故人)から聞いています。

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  2. トナミ様 

    コメント有難うございます。 ガンレフではお世話になりまして感謝申し上げます。

    大正・昭和初期生まれの方々は大震災・戦争と災難が続いたようです。
    お母様の喜ばれようはどんなだったんでしょう。 でも赤紙一枚で召集され 懸命に生き延びてきた方への目が辛いですね。
    私は戦後孤児になった子供たちを思うとやはり苦しいです。
    最近嫌なことでも話しておきたい気持ちが強くなりました。そして穏やかな地球を残していきたいと思うのです。

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