2021年11月2日火曜日

ガジュマル

 曇り空 遠くまではいく気はありません。 皇居東御苑へ 平川門から出て 神保町の絵本古本屋へ 昼食をとって帰宅予定を立てました。 東御苑内は半袖姿の方も ジャケットを着ている方も 私はあまり重ね着をせず身軽で行きましたが 背中に汗をかきました。 矢張り気持ち良かったです。


だいぶ前 坂の上の花屋で 右側の小さいガジュマルの木を買いました。排水口の無いガラスの箱に入っていて見てくれは良かったですが 植木鉢に植え替えました.すると…急に愛おしくなりました。 トックリ蘭の次の次ぐらいに可愛いです。 そのうち有楽町の花屋で またガジュマルの鉢を見ましたが 荷物が多く買わずに帰宅しました。先日行ってみますとガジュマルはありませんでした。  店員さんに聞いてみると倉庫を見てきますと・・・・ そして店員さんが持ってきたのが左のガジュマルです。




























「此の木何の木気になる木・・・・・」妙にこの木が気になり調べてみました。 沖縄では「キジムナー」と呼ばれ「多幸の木」「幸せを呼ぶ木」「子供の精霊が宿る木」と言われています。 私の父の実家は沖縄県石垣島のとある部落ですが その部落の入り口にガジュマルの大木があったのを12歳の私は覚えています。 父が子供の頃母親のお供で中心部の市場に農作物を売りにいった帰り 村のガジュマルのところまで来ると 母親は着物を脱いで上半身裸でスタスタ歩いて帰宅したそうです。 何故私がこの木に惹かれるのか・・・・矢張り私にも離島のアッパーの血が流れているような気がしました。



















2 件のコメント:

  1. shwoさん、おはようございます
    ガンレフのトナミです。

    ガジュマルなんて懐かしいです。
    shwoさんが石垣島とご縁があるとの事で、ちょっと驚いています。
    >離島のアッパーの・・・・
    アッパーとはどういう意味なのか、差し支えなければ教えてくれませんか。
    私は沖縄が好きで何度か訪れたことが有りますが、石垣島はまだ行ったことがありません。
    石垣島人と沖縄人を同類視しない方がいいのでしょうか。
    石垣島は沖縄本島より台湾に近いみたいですね。

    私の本棚に沖縄土産のぐい飲みワンセット、シーサーが2セット飾ってあります。
    沖縄という所に丁度20年ほど前に初めて訪れ、その後何回か訪れました。
    もっと早く行きたかったのですが、さまざまな事情があり、遅くなってしまいました。
    綺麗な海がだけではなく、心に残る物、見るべきものがたくさんありました。
    この事は、実父が戦地(中国満州)から奇跡的に生還した事と深いかかわりがあると思っています。
    現地の人と話したこと、聞いた事、「本土」の人が知らない事がたくさんありました。
    その度に何度も涙を流したことを覚えています。
    ひめゆりの塔のオリジナルの「みすぼらしい石塔」と小さな穴
    牛肉が本土価格の2,3倍すること
    本土へ行った時はお土産に自宅分のみならず、近所の分まで買って来るとの事
    新築家屋には貯水槽(雨水)を設置する義務がある事
    米軍駐留の諸問題
    などなど、沖縄人のことを書き出すときりが有りません。

    パソコン・キーボードをたたいていると、沖縄の事を思い出し、涙が頬を流れ落ちます。
    石垣島人も沖縄人と同様、戦前、戦中、戦後を通じて、大変な苦労をしたことと思います。

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    1. トナミ様

      お早うございます。ブログご覧いただいて嬉しく感謝申し上げます。

      アッパーは おばあちゃんぐらいの意味で 高齢者女性を呼ぶとき 住んでいるところをつけて「ヒゴンナのアッパー」と呼びます。
      石垣島は本島沖縄の政治犯の琉刑島だったと聞きます。
      昭和32年当時は上下水道がありませんでした。屋根の雨水が貯水槽に溜まるように工夫されており 下に小さなコックがあり開けると茶碗に水が入ります。その中にボウフラが上下運動をしているのを私は飲みました。
      祖父母の古希の祝いで 20年ぶりで帰島した父に伴われていきました。その折200人からの御客を招いて何日も宴会がもようされました。
      男が何段男性はもの竹細工?の料理入れを作り 鳥・豚・牛を屠り並べられていたのを覚えています。井戸水では足りません。父は見かねてシカに行って消防車一台をかって文の買ってきました。そして貯水タンクへ入れたのは痛快でした。
      その際私も八重山民謡の代表曲「鷲の鳥」を踊りました。
      島には暗い歴史もあります。 人頭税石です。 143センチほどの石柱に成長すると税が課せられました。 又人減らしのため妊婦が飛ばなければならない石の割れ目があったと聞きます。夜這いは島内で血が濃くならないように歓迎されたそうです。
      素晴らしいのは カビラ湾です。 何もない丈の高い草に覆われた1本道の先にありました。
      従弟が石垣島で4台しかないタクシー運転手でしたので 一日島を周遊した覚えがあります。
      飛行場もなく双発機は砂利道に着地しました。

      石垣島は八重山群島で 「ヤヤマ」と言っています。
      私はその1回しか沖縄には行っていませんが 思い出はしっかり残っています。
      話し出したらキリがありません。
      沖縄を本土の人は見捨てたのではないと思っています。
      懐かしさを蘇らせてくださり有難うございました。

      私の母方の 青森県でも 確かおばあ様を「アッパー」と言ったと思います。北海道でも??
      日本海の南風泊港を辿ると 琉球の言葉がたくさん残っていたと思います。そして終着点はアイヌ民族へと流れているように考えています。

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